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ねぶろぐ~詩と競馬とたまにウツ~

土~月は競馬予想、レース回顧をUPします。その他の日は俺の日常、日々の想いを綴った詩をUPしていきます。

魂の消えた町~2018年6月東日本周遊記1~

 6月2日から昨日6日まで、3泊5日で旅に出ていました。3泊5日?海外旅行か!と思われそうですが、そんなことはなく、単に宿泊もせずに夜を徹して運転していたから、こういう表現になっただけです(笑) ひたすらに運転しまくっていただけだった気もしますが、知らない街へ行きたい。漂泊感を味わうのも目的の一つだったような気がします。

 総走行距離は1593㎞。弘前から都心へ出て、戻ってきたわけですから、まあこんなもんですかね。帰宅してから24時間以上経っていますし、ゆうべは普通に指導周りもしていますが、未だにテンションが高い状態はキープされているような。栃木県以外の東北・関東はすべて「通過」はしてます。栃木県を通らない代わりに新潟県に寄っています。

6月2日
青森県の自宅→福島県・道の駅そうま&南相馬→浪江駅→茨城県・JRA美浦トレセン→横浜市鶴見で飲み→大田区蒲田のホテル
6月3日
ホテル→東京競馬場→大国魂神社→府中のドトール→ホテル
6月4日
ホテル→群馬県・富岡製糸場→新潟県・弟宅
6月5日
弟宅→長岡市内で食事&温泉入浴→帰宅(日付変わってますが)

 まる4日とちょいですが、我ながら濃密すぎる。しかも高速道路をほぼほぼ使っていません。高速は1593㎞の運転の1割ほどでしょうか。睡眠も食事も体力も精神力もガリガリガリガリと削ってひたすらに運転しました。何の荒行だよ?!と思われそうですが、運転が好きなので何の問題も……いや、さすがに疲れました。

 ☆6月2日☆
 日付が変わって間もなく、0時半ごろに出発。そして、国道7号(弘前~碇ヶ関)、282号(碇ヶ関~盛岡=完走)、4号(盛岡~岩沼)、6号(岩沼~坂元駅前)。ここまで8時間弱&400㎞弱をノンストップ運転。元気なうちに、距離を稼いでおきたかったのです。6号に入ると下記のような「津波浸水区間」の標識がしばしば現れます。

 国道6号を通ったのは、この日の美浦トレセンへ行くから、4号は6号。それだけの理由だったのですが、震災の爪痕を確認することとなりました。でも、浸水区間表記は序の口。さらに進むと、「二輪車軽車両歩行者禁止」の知らせも。つまりは四輪自動車以外は進入禁止区間となります。

 その手前、道の駅そうまでこの旅、最初の食事。「相馬野馬追」で有名な土地ですが、特産物はワカメなど海藻のようで、ワカメソフトクリームなんてのもありました……ネタとして食べてもよかったのですが、無難に置きにいって、「相馬磯そば」「海藻コロッケ」を食べました。コロッケですが、海藻にコロッケ。つまりはジャガイモですから、味はポテトチップスのノリ塩味のような。普通においしかったです。ネタになりません(笑) そうまで、生徒らに配るための土産も買い込んでいます。安かったので。

 もう少し南下すると、道の駅南相馬。こちらのほうが「そうま」よりも規模が大きいので、飲食や休憩に使うにはこちらのほうがいいのかもしれません。もちろんどちらも津波で破壊されたからでしょうか。造りが新しい。そして、当然ながら震災の様子を伝えるギャラリーブースもあります。ただ、岩手・宮城と異なるのは、津波そのものよりも原発によるところが大きい。それはさらに南下して痛感することとなります。

 DASH村のあった浪江町までが帰宅可能地域となっています。ただ、規制解除されても、離れた住民は戻ってこない。浪江町を軽く車で流したのですが、人がいない。浪江駅までは北からの電車きますし、駅をはじめ、警察署や郵便局など公共施設はあいているのですが、人がいない。町の中心部を昼間にまわっているのに、住民らしきを人を見かけることはまったくなかったです(パトカーなどは見かけている) 人がいない町は「魂の抜けた町」に感じられました。なまじ物理的破壊が宮城・岩手より少なく見えた(実際はわからん)のが、不気味さを助長している。震災前を知っていれば、なおさらそういう思いを感じるかもしれません。山口元メンバーとかね(あのなw)

 浪江町から先はしばらくノンストップ。それは俺の意思ではなく、法律でそうなる。帰宅困難地域は駐停車禁止。止まれば、駐禁とられかねません。い、いや、何もなかったですよ。い、いやだなあ(笑) そんな帰宅困難地域は6号からそれることも許されません。というか、何もかもに鉄のバリケードが張られていました。側道は元より、店舗や民家の入り口にさえ、バリケード!バリケード!バリケード!日本にこんな場所があるのか……まるでチェルノブイリ。誰だってそう思うでしょう。運転しながら遠目に、福島第一原発もみました。この6号の非常区間は、放射線の計測計があります。まるでふつーの国道に温度計や風速計があるような感じで。

 震災から7年あまりが経ちました。復興はなかなか進まないけれど、それでも宮城・岩手沿岸では、残った人が頑張っている。望ましいことではないが、ダンプカーやトラックが行きかっているのはそういうこと。走っていないわけではないが、ここはそうじゃない。不適当かもしれない。でも、人が亡くなるよりもヒドい。消えてしまったのだから。そんな印象でした。そして、おそらくもう戻ることもない。少なくとも今、生きている人は、この地域の完全復活を見ることはないと思われます。どういう感想を持つかはわからない。でも、ここは日本人なら、見ておくべき場所じゃないかと思います。今回の旅で、あちこち回りましたが、一番、印象に残ったのはここ。
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テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

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